Qualia Howdy?

人間です.すべて嘘です.

電気もつけずにそこで何をしているの?

最近はなんだか躁っぽくなっているというか,意図的にいろいろなことをやるようにしている.
四十九日が終わって時間にもある程度の余裕が出てきた.これは良いこと.
何が良くないかというと遺産相続とか行政での手続きみたいな"やらなければいけないこと"がなくなってしまったことなんだ.
時間・思考に余裕が生まれてしまうと鬱の入口が訪れやすくなってしまう.
例えば,半醒半睡のときに凄く現実味のある母親の夢をみる.それも毎日.これには精神的にかなりまいってしまう.

いつまでもこんな生活を続ける訳にもいかないし,なんとかしなければいけないことを頭では理解しているけれど,夢とか目標みたいなものがたてられない.
だから鬱にならないようにだけ気をつけて,毎日違う料理を作ってみたり,行ったことのないところを散歩してみたりしている.
でもこれはそろそろ限界,だから早く道を探さないと.

紙とペン,言語感覚.

日記を書こうとそれなりに上等なノートを買った.
そもそも,なぜ手書きで日記を書こうと思い立ったのか,これには複雑な理由がある.
君は知っていると思うけれど,僕はとても字が汚い.君に最後に手紙を書いたとき,僕はとても恥ずかしかった.
手紙の内容はともかく,文字が汚いと読む気が削がれるし,内容にまで泥を塗ることになってしまいかねない.
もう一つの理由は母の眠る棺桶に最期の手紙を添えた時のこと.動揺していたことを言い訳にもできるけれど自分の文字の汚さに情けなくなったんだ.
そんな訳で僕はメモは可能な限り紙に,日記も可能な限りノートへ書くことにした.
その結果,ブログを書く頻度が下がってしまったけれど,iPhoneのメモに綴る日記も継続はしている.

最近の読書

本を読む時間が増えた.文頭にあるように気を紛らわせるための読書がどうしても多いけれど,娯楽の読書を続けていても心が腐ってしまいそうなので,鍛錬の読書を積極的にしようと思っている.
鍛錬の読書というのは字面の通り,自分を強く,成長させるための読書で,一度読むだけでは理解できない物理や数学の本を手を動かしながら読んでいる.
実際に鍛錬になっているのかは分からない.理由も気を紛らわせるためと軽薄だし,今後の進路が一切決まっていないのだから.

都市について

法事を理由に名古屋を訪れている.都市部,なかでも政令指定都市になっている街は熊本市以外すべて訪れたことがあるけれど,名古屋という街は特別つまらない.
綺麗でもなければ汚くもない.地下鉄も市バスも発達しているし,空へと伸びる名駅前も高層ビル群も立派なものだ.それでも圧倒的に何かが足りていない.
僕は大阪という街が苦手だけれど,大阪は”おもしろい”と感じる.名古屋はなんでつまらないのか.家に居ると親戚と顔を合わせることになるので散歩がてら考えてみることにした.

理路整然とした街区.札幌や京都など,碁盤の目状に広がる都市は全国にいくつか存在する.名古屋もその代表的なものの一つで,徳川家が名古屋城を築城した頃の城下町の形成まで話は遡る.
その後は戦災の復興などで久屋大通などをはじめとした100m道路が整備されて今の名古屋が出来上がっていく訳だけど,現在の街の姿が近い札幌と比較してもつまらない.

父の生家のある名城公園近辺はその他のエリアと比較すると相対的に面白いんだけれど,それは碑があったり,町名に歴史を感じたりと名古屋城が近いからこそだ.
あてもなく歩いていると鶴舞公園に着いた.歩き疲れたので少しベンチで地図でもみながら休憩することにする.

下の二枚はほぼ同じ縮尺で表示した札幌と名古屋.都市圏としてみると濃尾平野全域に広がる名古屋の方が大きい.

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札幌

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名古屋


以前に札幌を歩いた時のことを思い出してみる.札幌は道内最大の歓楽街のあるすすきのから歩いて行ける距離に豊平川中島公園があり,少し遠いものの山手にある円山動物園北海道神宮なんかへも歩いて行くことができる.対して名古屋にも中京圏最大の商業施設の集積地である栄から歩いて行ける距離に庄内川名城公園があるが少し遠い.札幌と異なり名古屋市自体が海に面しているものの,歩いていくことのできる距離ではないし,東京のように地形の起伏があるわけではないから,見通しの良い丘になっているような場所も郊外へ出ないとない.
名古屋は広い平野に位置するために遠くに何かが見えることもなく,碁盤の目のように広がる街区のために視覚的な変化が小さく,川や山や谷などの地理的な面白さがないことから散歩のしがいがないんだと思う.

収拾がつかなくなりそうなので無理やりまとめると,僕が名古屋をつまらないと感じる理由は大きく二つあって,特有のあまり文化がない(今回は触れなかったけれど喫茶店文化なんかは好き)こと,もう一つは散歩のしがいがないこと.便利だけどやっぱり中途半端なんだよな,名古屋.

チョコレート効果

ラムネが好きだ.ブドウ糖を効率的に摂取できるし,清涼感のある口溶けがなんともいえない.でも糖の摂取方法として飽きてきてしまった.
せっかくなので名古屋に滞在している間に色々なショコラティエをまわることにした.ジャンポールエヴァン,ピエールマルコリーニ,ピエールエルメパリ.カタカナで書くとなんだかダサい.
高知へ帰ってきてからも美味しいチョコレートを食べたくて仕方がなかったので,なんとなくGoogleMapで「ショコラティエ」と検索すると近所(30kmくらい離れているけれど)に工房を発見した.どうやらオンラインでの販売しかしていないみたいで興味をそそられる.我が家は揃って甘党なのでチョコレートでコーティングされたガトーショコラを買ってみた.
数日してそれが届いた.それほど大きくはないけれど上品な味で上にのったピスタチオもかわいい.まだ創業から3年しかたっておらず,家族で経営されているそう.
視覚的に美しくて美味しいものは,一時的ではあるけれど簡単に幸せになれる方法の一つなので大切にしていきたい.君にもいつか食べてほしい.

ニンテンドースイッチが手放せない

そんなこんなで浪費を精神衛生のスタビライザーにしているから,当然貯金も尽きてくる.
半年以上使っていないものは売ってしまおうと思い,ゲーム機やテレビなんかを手放すことにした.ところが僕は"想い出"みたいなものにめっぽう弱い.
どうぶつの森に君からの手紙が届いていたことを思い出した.セーブデータを移したり,スクリーンショットを撮ってから売ってしまえば良いと友人には言われたけれど,どうやニンテンドースイッチは本体にしかデータを保存できない仕様らしい.僕にはニンテンドースイッチを手放せそうにない.