Qualia Howdy?

人間です.すべて嘘です.

23

歳を重ねることへの嫌悪感というものに今年はそれほど悩まされなかった.

色々なことに対しての諦めがつき始めたんだと思う.これはこれで寂しい.

 

相変わらずの日々を過ごしている.忙しない生活と少しばかりの読書.

憂鬱な春に心を蝕まれたあと,梅雨がそれらを全て払い去ってくれたのは幸いだった.

 

旧友からの連絡に気まぐれで返信をした事から,少しづつ人間や社会との接点が復元されていっている.麻雀をしたり,輪読会をしたり,高校時代の友人とMinecraftのサーバを建てたり.そうそう,昆虫のブリーダーをやっている彼は線香をあげにわざわざ実家を訪ねて来てくれた.

 

まるで自殺をする前みたいに懐かしい面々に会っている.不登校でほとんど行っていない中学校の担任や学年主任,祖父の葬式でしか顔を合わせたことのない遠い親戚,小学校を卒業してから一度も遊んでいないかつての親友.夢を実現させて漫画家になっていたのは驚いたな.

そんなこんなで人間関係のリハビリを行うこと(そんなつもりはなかったんだけれど)で鬱っぽい状態からは脱せたように思える.

 

人間関係を再開した副作用として文章を書く量と時間が大きく減った.「人は満たされていないと文章を書く」だとか「人は余裕があると文章を書く」みたいな話を聞いたことがあるけれどまさにそうだと思う.

この文も5月末に書き終えようと思っていたんだけど,日記が疎かになっていたからあまり載せられるようなものがなかったという訳.

 

親戚について

うっかり親戚との関係性に絶縁リーチがかかってしまった.

友人,恋人,知人なんかと違って,血の繋がりがあると"関係を強制されるので"面倒なことが多い.うちは一族の中では末端扱いなので鋭利な言葉が飛んでくる.

人間関係を損得勘定で見ることは良くないが,実際付き合うデメリットが大きいので本当に困っている.

嫌なことを嫌だと言えるようになりたい.

 

23

誕生日にブログを更新しようと思っていた反面,君から素数に関するメッセージをもらうまで二日後が誕生日であることをすっかり忘れていた.

素数が好きな理由をしっかり言語化したことは無かったので,思い通りに伝えられているかは不安だけど,23 ≒ ❤︎ という話はとても印象に残っているんだよね.

少し無理やりだけど23繋がりの話.

5月23日のメッセージがとても好きで,見返した時にハイコンテクストなのに「わかる」感じがして温かい気持ちになったんだよね.それだけ.

 

体力について

勉強をするのにも,読書をするのにも,映画をみるのにも,とにかく生きているだけで何をするのにも体力を消耗して仕方がない.

特に6月からはしっかりと軸を定めなおそうと思っているので基礎体力作りをしたい.

週1〜2のランニングと腕立て伏せ,それに腹筋トレーニングだけは継続していきたい.

 

砂浜,ストロングゼロ,星

砂浜までセグウェイを飛ばした.酒を飲んで寝転がったら夜空が涙で隠れた.

別に鬱とかではないけれど,なんだか冷静になってしまった気がする.人生に対して.

砂浜には日中に太陽から蓄えたエネルギーが眠っていると思っていたけど,死んでいるみたいに冷たくてまとわりつく海風も鬱陶しかった.

星座を知らなくても夜空に浮かぶ星には魅力がある.本当は魅力なんてないのかもしれないけど,魂を握られているかのように魅入ってしまう.活字で人の人生の短さや儚さや尊さを説かれても何とも思わないのに星をみると言語化できていない色々なことが一気に分かったような気になって苦しくなる.

鮮やかな星も近くで見れば太陽と区別のつかない凡な恒星だろうし,惑星だって月の裏側みたいにボコボコで汚いはずなのに.狡いなと思う.

 

いろいろ

他にも更新していない間にジャックラッセルテリアの仔犬をお迎えしたりしたんだけど,見返したらあまり文章としては残っていなかった.あの子の名前は柑橘類の八朔からとって「はっさく」

先代の「ゆず」が亡くなって3年,今年はいろいろな事があったので家族へのグリーフケアも兼ねて大切にすることにした.まだ生後2ヶ月と少しなのに猫みたいに跳ねて遊んでとてもかわいい.

 

"体力について"で6月からは軸を〜と書いているけれど,まだ全く定まっていなくて.でも焦燥感はそれほどなくて.

とりあえず生活をこなす日々が続いている.そんな感じ.