Qualia Howdy?

人間です.すべて嘘です.

はやく秋になってほしい

近況.

と言っても読書をしたり映画を観ているうちに8月はどこかへ行ってしまった.

 

 特に気保養になったのは金子邦彦先生の「カオスの紡ぐ夢の中で」と児玉浩憲氏の「科学詩」

憂鬱な気持ちになったのは岡田尊司先生の「死に至る病

読んでいるうちに息苦しくなってしまい読了できていない.

 

映画は沢山のアタリをひいた.

「Catch Me If You Can」は相も変わらず最高だし,「Midnight in Paris」や「ペンギン・ハイウェイ」はもっと早くに観ておくべきだった.

 

 

■緩和ケアとエトセトラ(8/31)

今月の中旬から急激に母の容体が悪化し,救急車に同乗したり,精神科の送り迎えをしたり,そんなことが増えてきた.家事などは僕が代わりに行っているが,抗がん剤の副作用で間質性肺炎にもなってしまっているため会話もままならない.

先月までは軽い口喧嘩をすることだってあったのに,空気の抜けたゴム毬のようで何とも張り合いがない.

こんな話をできる友人もいないし,SNSの類で同情を求めたところで何も産まない(SNSは辞めてしまったしね).

人に悩みを話すというのは相手に負担をかけるだけで何も解決しない気がするので,ゆっくり時間をかけて自分で消化するという選択肢を選んだ.比較的ポジティブな僕が受け止めた方が"最大多数のなんとやら"につながるのではないかと思う.

ただ,子供の頃にあんなにも乗りたがっていた救急車のサイレンを聴くのが嫌になってきている.

 

■インターネットデブリ(8/19)

インターネットデブリという造語がある.僕が初めて聞いたのは随分前のラジオだけれど,一般的にも浸透している概念らしい.

今年でAdobeFlashが終わってしまうので,古いFlashサイトについて調べていた時のこと.

検索ワードは忘れてしまったけれど,[○○○○○ ○○ ○○○○]のような具合でてきとうにAND検索をした結果の十数ページ目に古い個人ブログの一片が出てきた.ところどころ画像のリンクが切れていたり,[Top]や[Back]が機能しなかったり,誰からも忘れられてしまったページがそこに宙ぶらりんの状態で存在した.確かに存在した.

そのページも興味深い内容ではあったけれど,ひとまずは目当てのサイトを探すためにそのページを閉じて[検索結果]へと戻ることにした.

それからというもの"あのページ"へは辿り着けていない.何度同じワードで検索しても出てこないし,使っているブラウザの仕様上履歴を遡れないのだ.何とも言えないもやもやだけが残っている.

 

■台風と燭台(9/6)

雨戸の外で風による轟音が響いている.時々道路を何かが転がっていく音もする.

久々の台風だ.東京にいた頃の台風は"台風"という感じがしなかった.四国の台風は雨粒が大きく感じる.東南アジアのスコールもこれくらい雨粒が大きいのだろうかと思っていると,父が海面温度と雨粒の関係について話してくれた.

そんなうちにも雨脚は強くなり,風は唸りだす.

我が家には台風が来るとダイニングの飾り棚で埃をかぶっている燭台たちを綺麗にする慣例(?)がある.

というのも四国の特定のエリアでは台風が来るとかなりの確率で停電するのだ.

家族で他愛もない話をしながら,ズラッと並んだ燭台を一つずつ磨いていく.

結局,停電することなく台風は温帯低気圧へと変わり,燭台は次の機会を待つように飾り棚へと戻っていった.

 

■パスワード(8/16)

iPhoneのパスワードが分からなくなった.パスワードである6桁は恋人と交際を始めた日,記念日だ.

アクセスしたいのにパスワードが分からない.ありえない!あんなに刺激的な日のことを忘れるはずがないのに.

そんな状態で何日も経ち,気が付くとiPhoneが使用できるのは数年後になっていた.

僕は人のいない街で恋人を探し回った.

 

と,ここで目が覚める.

何故こんな夢をみたのだろう.当然記念日は覚えている.

一つ心当たりがある.先日iPhoneを水没させてしまった際にFace IDが使えなくなってしまったのだ.

それ以降,僕はロックを解除する度に6桁のパスワードを入力している.iPhoneを手にするたび無意識下で記念日のことを考えているんだ.それにしても鮮やかで出来の良い現実の比喩みたいな夢で少し怖かった.

脳というやつは余計な記憶の補綴と茶々をいれてくるし,ああ僕は恋人に心底惚れているのだなと再認識した.

 

■驕り(さっき)

さけるチーズを割かずに食べている自分を客観視して調子に乗ってるなと思った.

適切な表現がわからないけれど,一つ一つの所作に対する愛がないというか,これは最小の驕りなんだろうなと感じた.

 

視座と気位は高くとも,丁寧でなくとも,謙虚に静かに慎ましく生きたいものだ.