代わり映えのない日々を過ごしているうちに冬の匂いがしてきた.
やっぱり秋は2019年製に限る.
最近読んだ本で面白かったのはJames LovelockのNovacene,石弘之の感染症の世界史,それにDouglas Adamsの銀河ヒッチハイク・ガイド.有益だったのは読書猿氏の独学大全(もっとも勉強なんて長いことしていない)
映画は当分観ていないけれど,その分音楽を聴くようになった(ラヴェルやサティを始めとした印象派にハマっている)
■秋と生活圏(9/25)
朝から夕方まで窓を開けて過ごせるくらいの気温と湿度.エアコンから降りてくる人工的な冷気じゃない,部屋の壁を撫でるように吹き抜けていくやわらかい風.それでいて夜は少しひんやりとする,心地良い.
秋は夏の囂しさもなければ,冬の陰陰滅滅とした雰囲気もない.それなのに山の色付きは夏の賑やかさと冬の寂しさを兼ね備えているみたいで好きだ.
生活圏はどんどん狭くなる.歯医者,本屋,コンビニ,公園,これで生活が完結する.家の中にいてもベッドかその隣の椅子に腰掛けている.
狭い部屋の隅に籠もっていても塞ぎ込まずに済んでいるのは足元にあるアーチ窓のおかげだ.
朝食を食べて朝日が登ると窓際にスズメがやってくる.どうやら窓枠の下,1階と2階の瓦屋根の隙間に巣を作っているらしく,なかなか至近距離で鳥が餌を啄む様子をみることはないので癒やされている.家族には黙っておこう(瓦の隙間に巣を作られると瓦が浮いて事故につながるので撤去されてしまう)
■SNSとか(10/4)
久しぶりにTwitterにログインしたけれどあまり良い気分にはならなかった.TLの構築の仕方が原因なのだろうか,今は人間関係を求めていないのかもしれない.
アカウントごと消してしまおうとも思ったけれど,思い出・思入れのあるアカウントなので躊躇われた.現在と未来だけじゃなく過去も大切にしたい.
仕事をしていた頃に使用していたTwitterアカウントにもログインしてみた.こちらも厳しいものがある.今が正常なんだろうか,あの頃が正常なんだろうか,生まれつき正常では無いんだろうか,正常なんて存在しないんだろうか.
そんな事を考えながら犬と猫が戯れる動画を観ていたらどうでも良くなってきて,またひっそりとTwitterからログアウトしたのだった.
■歯の痛み(10/12)
僕の自我はへなちょこなので,何をしていても恋人のことを考えてしまう.読書をしているとき,散歩をしているとき,シャワーを浴びているとき,これが日常になってきている.
先月から虫歯の治療をしに歯科へ通い始めた.そこでも歯科助手の方をみるたびに恋人(厳密には初めてデートをした翌日のお昼)を思い出す.
麻酔が効くのを待機している間に眼の上にホットアイマスクのようなものが置かれた.これがとても眠くなる.
ふと顔を上げると隣に歯科助手として立っていたのは恋人だった.相変わらずめちゃくちゃに可愛い.何を喋っていいのか分からずしばし見つめ合っていた.
椅子がリクライニングする振動で目を覚ました.と言っても流れている音楽から推測するにほんの数秒の間,半醒半睡の状態でみた幻影,白昼夢だったんだろう.
削られた歯よりも高鳴る心臓が痛かった.
■①ニュースをみる癖をやめたい(9/28)
中学受験に時事問題が出るからという理由で小学生の頃から意識的にニュースをみるようになった.そのお陰で政治経済・Tech関連のニュースには強くなったような気がするけれど,最近はニュースをみていて落ち込むことが増えてきた.それに社会との接点がほぼ皆無になった今,鮮度が肝心な情報をインプットすることが無駄に思えてきた.
個人発信のSNSからは抜け出すことが出来たもののダイニングに新聞が置いてあると読んじゃうし,スマホに届くニュースも読んでしまう.流れの早い情報はADHDの僕には凄く楽しいものだし,前職への適性も情報感度の高さ故だとは思うが,やはりニュースをみることによる精神衛生上のリスクが大きくなったからには一度やめたほうが良いのかなと思った.
■②飲酒をやめたい(9/28)
ニュースをみる量を減らそうと決めて数時間経った.今日はまだみてない.
それはそうと酒は良くない.飲酒量が増えていることにやや危機感を募らせていたけど,昨晩少々飲みすぎたせいで今朝驚くほどパフォーマンスが下がったことを思い出した.
そもそも酒は一人で飲んでも面白くないのではないかと思うようになってきた.ストレスリトマス試験紙としてのビール,陰鬱とした気持ちを希釈するためのリキュールやチューハイ,こういった用途で飲み続ける以上酒への依存は避けられない.
それに最近は美味いと思って酒を飲むことがなくなったように思う.
惰性の飲酒.これほどつまらないものはない.飲酒もやめる.
■秋の森(10/9)
最近はよく近所の浄水場(小高い山の上にある) へ散歩に行く.
ここは夜景が綺麗だとか,手入れされた庭園があるだとか,そういった場所ではないけれど小さい頃から馴染みのある落ち着く場所だ.
てっぺん近くは少し開けた公園になっていて春になると桜で色付く.僕が散歩へ行くのは大抵陽が沈んでからなのでそうした季節の移ろいを感じることはあまりないが,夜ならではの小さな出会いがあったりする.
野鳥や狸,稀に仲睦まじく犬を散歩させる老夫婦
僕はそういったものとの交流もほどほどにして雑木林の奥へと進む.月明かり以外には何もないようなところにたどり着くと恋人しかリスナーのいないラジオを録り始める.
内容は本当に些細なことだ.さっきみた狸のこと,昨晩作ったパエリアのこと……
そんな時,ガサガサッと音がしたりする.ドキドキしながら周囲をみまわして「ふぅ」と大きなため息を吐いては,風で葉が擦れる音に過剰に驚いた話なんかをする.
ひとしきり話すと,すくっと立ち上がって来た道を戻る.こんな日には帰り道にうっかり雨が降ろうとも落ち込まない.風邪はひいたけど.
■浮世の瑣事が余りにも多し(10/11)
何もしていない僕を心配してか,それとも母親の退院祝いか,家族で高原へ行くことになった(なんだかサナトリウムみたいだけど,空気が綺麗で人のいないところへしかいけないから仕方ない)
県境にある細い道を天へと縫うように登っていくと,突然カルスト台地に出て視界がひらけた.
そして久しぶりのカルストに心を奪われた僕はここの写真を一枚も撮っていない.
標高2,000m近い山頂からは隣県や海までも見渡せる.
思わずワーズワースの『浮世の瑣事が余りにも多し』が頭をよぎる.
家族が何をしていたかは知らないけれど,僕は長いことぼーっとしていたんじゃないかと思う.
帰り際に山小屋でトイレを借りて,さて帰ろうかというときにさっと霧がはれて雲海が広がった.
カルストや雲海以上に紅葉にも圧倒されて,少し心に余裕が出た気がする.
■秋が終わる(10/31)
今日はハロウィーンらしい.母の作るかぼちゃのパイをみて気が付いた.
退院してからは寝たきりになるかもしれないと医師に脅されていたので一安心している.
家族との交流も減ってきた.特に真ん中の弟とは何日も口を利いていない.
2週間くらい前にどういう文脈だったか恋人に関してからかわれて顔を殴ってからだ.
人に手をあげるのは中学生以来何じゃないだろうか,凄くスッキリしたけれど,謝罪がないので許していない.ひょっとすると殴る口実を探していただけなのかもしれない.
思い出しながら書いているとまた気分が悪くなってきたので,思い出すのはやめようと思う.
秋はもう行ってしまうんだろうか.
明日で18ヶ月,あと数日で誕生日.今年の冬は例年以上に寒くなりそうだ.